ドラマ特有のバーンアウトに身を任せ
お久しぶりなブログのネタがアラシゴトではなくて申し訳ないんですが。
今クールのドラマと言うと、私は掟上今日子の備忘録 と 5→9(5時から9時まで)しか毎週しっかりと見ていなかったんですが。
ごじくじにいつの間にかどっぷりでして。
録画とはいえ、きっちりリアタイできてる日もあって。
元は石原さとみちゃんと山Pという美男美女カポーの恋愛ストーリー(月9)というところに食いついたわけです。
しかも山Pお坊さんなのか!!それいろいろテンション上がる!!的な感じでした。
ドラマ序盤は全くオチない潤子さんとその周りを巡る三角関係やらなにやらが慌ただしくて、落ち着いて見られるのはアーサー・モモエ先生コンビくらい。(笑)
高嶺さんはひたすら潤子さんストーカーだし、なんかこれ飽きるかなぁ…とか思ってたのに。
気付けば目が離せなくなって、backnumberの曲が空港でエンドロールと共に流れる図を想像しては、ムズムズ・ワクワク・ドキドキして、ほんとに毎週の展開を楽しみにしていました。
なんせ、結婚や恋愛の鉄壁のお祖母様役としてはもう文句ナシの加賀まりこ様が最後までブレませんから、こりゃ高嶺さん住職やめる色強いなと思ってたら。
最終話。
潤子さんも高嶺さんもズッキンズッキン
傷ついて、涙ボロボロ流してて、
でも、ああ、これが恋愛だよなって。
純粋に愛され続けることを受け入れていたら、いつかこんな未来もあったんじゃないかって過去の自分に照らし合わせてみちゃったり。
…たり。
ラストシーン、お洋服で出てくる高嶺さんが違和感だらけで笑いそうでした。今朝のめざましテレビでも山P言ってましたが、もう洋服着ると恥ずかしいんでしょう?ずっと袈裟にしよ?似合ってるよ?
そして、ホントにさとみちゃん可愛い。
美しいしキレイだし英語饒舌だし、
天は二物を与えずなんて嘘、例外がここにいますよって感じでした。
山P、あのさとみちゃんの魅惑の唇をやっとものに出来ましたね、良かったね。
今まで散々おあずけ食らってきたんだ、
何度でもするが良いさ!!
さあ。愛し合う2人よ、聖なる夜に永遠に!!!
って感じで最後まで見させて頂きました。
純粋に愛され続けるって不思議なもので、
いつの間にか、その受け取った愛に応えたくなるんだなぁ。
博物館のシーンが私は好きです。
胸が本当に引き裂かれそうで苦しいけど。
あんな恋愛してみたかった。
グッバイ!!!!!!
私も使ってみようかな。
(※ただの陽気なお姉さんに過ぎません)
年賀状、ください
私が最後に書いた年賀状はいつのものだろう。
小学生のころは、年賀状を書くことにワクワクしていた気がする。友人たちの住所を聞いて回り書きまとめて、それが多ければ多いほど苦労はするが満足感が私を満たしていた。
デザインを決めるのも楽しみだった。
スクラッチシールを貼ったり、ステンシルを使ってスタンピングしてみたりと手書きの年賀状を作る楽しさを感じていたように思う。
そのほか一人一人、送る相手の顔を思い浮かべてメッセージを書くのも楽しかった。実家にPCが来てからはデジタルでのデザインを印刷したものにコメントを書く形に変えたのだが、手書きメッセージだけはずっと入れていたはずだ。
それが高校になり、携帯電話を手に入れた私はデコレーションメールでの年始の挨拶になってしまった。
日本らしさを感じる文化、「手紙」というものを時代の流れに身を任せた私は手放してしまったのだった。
ところが。
年賀状、私にもください。
(国民への働きかけは、アイドルの力を借りていけばいとも簡単にうまくいくことを日本郵便は気付いたのだろう。)
今年は年賀状書こうかなと単純に思ってしまうのです、ごめんなさいね。もともと手紙や文章を書くのが好きな性格ともうまくリンクしてくれたようだ。
日本の嵐ファンよ、
いまこそ年賀状を書こう。
(単純明快なものだ、私は)
なんだか無性に
ジャニオタしてるけど私ほんとにこのままでいいんだろうかと思う瞬間があって。
私は昔から何かにハマると突き詰める、極めるまで調べたりものを買い集めたりしてしまう癖があって、漫画にしろ俳優さんにしろとことんお金を注ぎ込んできた。それが中学生まで。その頃はまだジャニーズにハマりもしなかった。むしろ、当時の友人の中で嵐大好き!櫻井くんほんとイケメン!そう言っている彼女に対し、「あーでたでた、岡田将生の方がイケメンだしー!」と言い返しているほど嵐やジャニーズをdisっていたのだが……
それがなぜか、高校に入り、新しい友人達との交流の中で眠っていたジャニオタ精神が開花してしまったのだ。
私なりに分析すると、私が中学生の頃、嵐は人気絶頂期だった。10周年を迎える前後でTVの露出が多く、嫌でも目にする機会が多かった。
そして、心からdisる訳ではなくからかいの気持ちを込めた愛のあるdisり方だったのだと思う。実際、野ブタをプロデュース。が好きで私の初めて買ったCDは青春アミーゴだったし、山田太郎ものがたりは嵐大好きではない自分がなぜか毎週楽しみにしてTVの前に待機していたドラマだった。
今思えばそれが嵐を好きになるキッカケなのだが。
高校で急激に私はジャニオタとしての道を歩み始めた。今頃嵐ファンになるなんて乗り遅れた感満載じゃん。新規って馬鹿にされるじゃん。どうせ顔ファンだろ。そう反感を買う覚悟は出来ていた。実際それも事実だ、否定はしない。
でも、悪いが大方みんな初めはそうだと思うんだ。新規、古株についてあまり言及してこなかったが私はどちらも必要な立場だと思っている。この考えを否定するわけでも肯定するわけでもない。新規というのは誰もが通る道なのだ。
そして、新規(という定義は人それぞれだと思うが)、その時期が一番ジャニオタとして楽しい時期なのではないかと思っている。
なぜなら毎日新しく知ることばかりで、日に日にメンバー、グループへの愛が増幅していくのだから。
実際私は高校一年生の殆どを嵐に費やした。今までリリースされたシングルやアルバムを友人から借り、コンサートDVDを貸してもらい、見逃した音楽番組やバラエティをダビングしてもらう。過去の自分の遅れを取り戻すかのように。エピソードも調べた。嵐の中にコンビ名があることも自分で調べて勉強した。数々の有名なエピソードをこの時期に私は吸収した。
勤勉な性格がこんなところで役に立つとは思ってもみなかった。2年生になるとテスト期間は嵐の曲だけをひたすら聴きながら勉強し、テストの順位がクラス内10位以内だったら嵐のDVDを買ってもらうという公約を母親と交わし、見事達成した。それを2年間繰り返し続け、毎回のテストでクラスで3位以内に留まるという執念を見せつけた。この時点で私は完全にジャニオタとして成長していた。
嵐のために、というモチベーション付けが私のデフォルトになっていたのだ。
そうして高校を卒業する頃には嵐関連の友人が増え、今でも交流のある相方も出来た。相方の方がジャニオタとして先輩の為、コンサートやイベントに関してはより詳しかった。FCへの入会も、私は高校生の期間は許されずもどかしい思いをしていたが、相方は入会して数年たっているため、FCに関してもいろいろと質問して聞いていた。
高校卒業後は仙台の専門学校へと進学。相変わらずジャニオタとして暮らす日々。初めてFCに入りその名義が力を発揮したのも専門1年の時だった。何もかも嵐に夢中だった。
しかし、専門2年になり、私のハマリ症が悪化する。
それは声優というジャンル、アニメという沼に落ちてしまったのが原因だった。
ジャニオタもアニオタもお金がかかる。だが情報の流れる速さはむしろアニオタの方が早い。(声優オタと名乗る方が自分的にはしっくりくるのだが)
本当に感動したのだ、生で至近距離で大好きな声優さんを見てしまったから。
ここから私は不運に悩まされることになる。
嵐関連のイベントやコンサートは落選が続き、高校時代の方がよっぽど運が良かった。その反面、声優さんのイベントやコンサートに応募すると見事当選することが出来た。
嵐のレギュラー番組が終わり、番組のリニューアルも立て続いてなんだが心が落ち着かない日々。
そこから会えないアイドルと身近で応援できる声優さんという天秤にかけてはいけない二択を私は乗せてしまったのだ。
そして、私が考えたのは嵐ファンとして少しペースダウンをすべきではないのか、ということ。雑誌やシングルを欠かさずチェックし買い集めていた高校時代と比べ、今は雑誌も買わないしシングルも買うのを我慢するようになった。アルバムとコンサートDVDだけで我慢すると決めた。
それを約1年続けて、見えてきた結果がある。
結果、ジャニオタをやめることは出来ない。
無理に追いかける必要は無い!という心の重しは無くなったのだが、そういう時に限ってジャニーズはこちらの心を鷲掴みする何かを仕掛けてくる。Twitterを利用することでより多くの情報が手に入るようになり、嫌でも知ってしまう情報も多い。そして、期待をするようになる。
また、嵐だけでなく、ほかのグループも関心を持つようになったのはTwitterの影響が大きい。
嵐のジャニーズ内でのポジションが確立されるほど、先輩後輩との関係が見えてきて、これまた楽しい。特に近年は先輩として年下のグループとの絡みが見られることに喜びを感じている。自分たちが先輩から愛されてきたように、同じように後輩を可愛がっているのを見るととても微笑ましいのだ。
こうしてジャニオタ卒業に失敗した私は、もはや留年の勢いで今でもジャニオタ界に暮らしている。
ジャニオタとして一番辛いのは情報難民と化すことだと私は思う。就活生なうな私だが、目指す職業上、なかなか自分の時間を思うように作れないことは安易に想像がついている。
それがうまく働けばジャニオタ卒業に繋がると思うのだが、それは嵐の人気が落ち着くことが条件になってくる。ミーハーなところがある私は、世の中のチヤホヤについて行きたくなるのだ。全く困った性格だ。
そのため、ジャニオタの卒業は今のところ不可能だろうという仮説を立てている。社会人になりお金も手に入るのだから、きっと高性能なジャニーズATMと化すのだろう。
皆さんはジャニオタ卒業に前向きなのだろうか。